SFの世界、自分が好きな映画ガタカ(GATTACA, DNAの塩基ATGCを表す)では、
遺伝子操作を受けた「適正者」とそうでない「不適正者」がいて、
能力的にも社会的にも階層があり差別されている
しかもそのへんのコンビニくらいの感覚で遺伝子を調べて「適正者」か「不適正者」かを判断してくれるし
自動改札機に指をかざすような感覚で遺伝子を読んで判別してくれます
さすがに自動改札機に指をかざして遺伝子を読むような技術はとうていありえないことですが
自分の思い通りに遺伝子を操作する技術というのは確立しつつあると思います
もちろん課題はたくさんありますが。
いま改めて、ゲノム編集技術「CRISPR」のあり方を問う
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170907-00010000-wired-sctch&p=2
どこまでが許される範疇になるんでしょうか。
たとえば遺伝子疾患の治療
ふつうの病気は手術や薬で治せるのに遺伝子疾患は技術があるのに治せないなんて変だ
と言われたら?
遺伝子疾患はいいとして
その人個人の能力に関わるようなゲノム編集は?
たとえばより速く走れるより高く飛べるより長く走れるようなゲノム編集は許されるんでしょうか。それとも許されないんでしょうか。
わたしの意見は遺伝子疾患なら遺伝子と結びつくしゲノム編集で解決することもあると思いますが
より速く走れるようになりたいとか頭がよくなりたいとかいう話になると、遺伝子どうこうするより自身の努力の方が大事じゃないの?と思ってます
だからといって技術的にできるからなんでもありみたいな世界はどうかとも思ってます。
この先、世界はどうなっていくんでしょうね。
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