2017年9月7日木曜日

日本の大学ランキングの低下。。。

中国の大学は大躍進、止まらない東大の没落 世界大学ランク46位 日本は「大学村」を破壊せよ
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20170905-00075394/


こんな記事もあるし......

科学力失速、英有力誌の再警鐘を無視する日本
https://news.yahoo.co.jp/byline/dandoyasuharu/20170823-00074863/

とはいえ、まえからランキングの低下や論文数の低下は言われていることであり
そりゃ論文数や被引用数をもとに算出してるランキングが低下するのはある意味当たり前だよねと言う感じです

それはそれとして、じゃあなんでそんなことになるのかって話だと
1. 研究に使える時間がない
2. 研究するためのお金がない
3. 研究者の評価において論文数が重要視され過ぎる
という要素があるのかなと思います。

1. 研究に使える時間がない
まずこれについてですが、研究者(大学教員)がやらなくてよいような仕事をやっている、1つ1つの仕事にかける手間にムダが多いあたりがあげられると思います。

センター試験や入試の試験監督を大学教員がやる必要性ってどこにありますか?
試験監督なら百歩譲っていいとしても、誘導とか警備を教員がやってたりしますよ
本当に意味がないんじゃないの?

仕事のムダというと事務処理に関して多い気がします。
発注はすべて事務を通せとか物品はすべてシールを貼れとか(しかも年1くらいでチェックする)
 研究費不正のことがあるのかもしれないけどその不正防止にかけたコストに見合う効果はあるの?
研究費不正した教員を適当な処分でなぁなぁにするよりしっかり裁いた方がよっぽど効果あるんじゃない?

報告書とかにしてもさ、wordで書いて、印刷して、ハンコ押して、PDFで送る(場合によっては原本も送る)
いくらなんでもムダすぎませんか... (しかもwordってめっちゃ書きにくいし)
 
2. 研究するためのお金がない
正確に言うと、お金をすごく持っているラボとお金がほとんどないラボとに二極化しているように思います。
いろんなでかいプロジェクトを当てて(そもそもなんだ当てるって表現)、何千万〜何億とかいう研究費を持っているラボがある一方で、
数百万レベルで研究すらままならないようなラボがある

いくら研究費をもらってようと、人材や時間の制約がある以上は一定期間に出る論文数には限りがあるわけで
一部のラボに研究費が集中して、ほかのラボは研究できないみたいな状態になれば
トータルの論文数は少なくなりますよね

3. 研究者の評価において論文数が重要視され過ぎる
これはある意味で当然のこととも言えるのですが、
問題は「数」が評価の対象であってその「質」が評価されるような仕組みではないということです

載った雑誌のインパクトファクターが高いと評価されるじゃないか、と思う人もいるかもしれませんが
載った雑誌がすごいからといってその論文の質が担保されるわけではありませんし
(nature, scienceクラスの雑誌でもねつ造や再現できないということはよくある)
そもそもの話として、インパクトファクターはその雑誌に載った論文の引用数によって算出される雑誌の影響度であって、論文や研究者の評価に使うものじゃありません

またもう1つの問題点は短期雇用が増えているために、限られた時間(2〜3年)の間に論文を出していかないと生き残れないということ

論文数が重要視され、かつ数年で結果を出しなさいということになれば
当然、短期間でも確実に結果が出るような研究に集中する(チャレンジングなテーマに取り組みにくい)
とすれば高いインパクトを求める高IFな雑誌には出しにくくなる
 またチャンピオンデータ、偶然うまくいった結果でも構わず論文を書く(再現性がとれなくなる)
 という結果になりかねません。

じゃあどうすればよいか?というとだいたいの話はお金が足りない!って話に行き着くんですよね
このままだとほんとにマズイことになるというかもうなってる?




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